Hey Im Yuga

私が私を見つける。私が誰かに見つかる。

【人間性尊重型 大家族主義経営】を読んで

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『ゆーがさ〜ん!今日のクラスでこれこれこういうことがあって、こんな風に対応したんですけど、どうしたらよかったですかねぇ・・?』

・・うん。まごっちはどう思うの?

 

『ゆーがさ〜ん!画像作りなおしました!どうでしょうか?』

・・うん。ともゾウはどう思う?

 

PETERSOXでは、ひっきりなしにフィードバックをし合う。
意見を求められても、まずは本人に「あなた自身はどう思うの?どうしたいの?」と問いかける。

『ゆーがさんが求めてるであろう正解』は取りに行かせない。

大切なのは『ゆーがさんにマルをもらうこと』ではナイ。

大切なのは『自分が"これや!"という答えを見つけて、それを実行すること』やん。

その上で、《ゆーがさん(私)なら、こうするかなぁ》っていう提案はするけども、その提案を採用するかしないかは本人次第やん。

 

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で、昨日アマゾンでポチったんはこちら。

 おもしろかったんは、トランスパーソナル心理学の論客として定評のあるケン・ウイルバーによる《意識の成長モデルをベースにした企業経営の進化》。

これすっごいおもしろいんやけど、これについてここに詳しく書くエネルギーが今私には残ってないので、気になる人にはぜひ本を読んでもらうとして、ここでは《ペルソナ》と《シャドー》について、引用を用いてちょっとだけ(本当にちょっとだけ)書いてみたい。

 

ペルソナ(仮面):「こうであるべきだ」という自分を育て、具現化した姿

シャドー(影):「あってはならない」とペルソナからはみ出した衝動や部分人格をはじめとして、それ以外も含めて無意識レベルに抑圧され、蓄積された巨大なモンスター

 

大人になるにつれて、私たちは様々な「ペルソナ」を身につける。

「立派な社会人」として身につけた「ペルソナ」がしっかりしたものであればあるほど、「シャドー」も強力に育っている。「ペルソナ」と「シャドー」の分断による闇も深い。

 

「シャドーは、無意識レベルに抑圧される」のだ。
つまり、「こうあるべき」の裏側にいるモンスターの存在は、無視されてしまう。だけど、「シャドー」をしっかり認めてあげないと、「本当の自分」が分からなくなってしまうやん。

 

 

本当のあなたは、どう思うの?
本当のあなたは、どうしたいの?

 

自分にも、スタッフにも、毎日同じことを問い続けてる。

「いい人」のフリはしなくていい。

「立派な社会人」は目指さないくていい。

もうそんな薄っぺらいもんは、いらん。

生身の人間として、関わっていこうや。

生身の人間として、仕事しようや。

 

その方がきっと、おもろいで♪( ´▽`)