【静寂の音 ヨイク・ナイト】にて
5リズムという「踊る瞑想」に出会ってからは特に、人の言動のことを「良い/悪い」とか「上手い/下手」とか「正しい/間違い」というモノサシでジャッジすることは、私にとって重要なことじゃなくなった。
それよりも、人が何かをした時に、〈自分の〉身体がどんな反応をするのか、感情がどんな風に動くのか、といった「自分の内側に起こる体験」を大事にするようになった。
それは、コンサートや、映画、本に対しても同じなん。
目の前の歌手は、べつに私にジャッジされるために歌っているわけじゃないし、私も、わざわざその歌手をジャッジするために客席に座ってるわけではない。
なので、この記事は決してコンサートのレビューとかじゃなくて、あくまでも私自身の体験の記録であり、「その人」へのお手紙やねん。
とっても特別なコンサートやった。
とっても個人的な事情やけど、ハートがいっぱいになったから。
これ。
ノルウェーのなんとか地方の、南サーミ人という人口500-1000人の少数民族に伝わる「ヨイク」という歌。
"人と会うことすら少ない環境で生まれた音楽。届ける対象は、周りの木々や湖、そして自分自身であった"(フライヤーより)
あ、その感覚、ちょっとわかるかも。
私、好きなやつっぽい。
実はこのコンサートは、ある人からお誘いを受けたものなん。
「ぜひ、優芽さんに感じてもらいたい」と。
その人から連絡をもらったのは数年ぶりなので、よっぽどオススメなんかな^ ^って、ウキウキして演奏が始まるんを待ってたん。
歌い手の女性と、鍵盤弾きの男性。
幻想的な音の上で、甘い声が自由に踊る。
神話のような、おとぎ話のような世界観。
音がキラキラと戯れるように、
私の身体を、その時空間を包みこんでいく。
私の好み、ど真ん中!
私をこれに呼んでくれたその人は、私の好みをよく知ってくれてるんやん^ ^ とっても嬉しくなって、顔がにやける。
コンサートの中盤。
不思議な感覚が襲いかかった。
あれ?
この二人のシルエット・・・。
この感じ、私知ってる気がするわ・・。
歌い手の女性と、鍵盤弾きの男性。
幻想的な音の上で、甘い声が自由に踊る。
神話のような、おとぎ話のような世界観。
音がキラキラ絡み合いながら、
私の身体を、その時空間を包みこんでいく。
あれ?これ・・・イダトピンガラ・・?
そう思った瞬間、涙がどっと溢れた。
一応周りのお客さんを気遣って、
嗚咽を噛み殺して泣いた。
その人が今日ここに呼んでくれた「本当の理由」がわかった気がした。
これには訳がある。
イダトピンガラというのは、10年くらい前に私がやっていた、うたとピアノのデュオなん。私の人生において、間違いなく最も大切な宝物のひとつやけれど、事情があって解散したん。
そんで、今日私をこのコンサートに呼んでくれたその人は、イダトピンガラが生まれてからずっと、信じて、応援し続けてくれた人やねん。
(ちょっとだけおこがましい気もするけど笑)目の前で演奏する彼らにかつての自分たちの姿が重なって、自分たちのステージを客席から見ているような、そんな不思議な体験をしながら、
「これは、とんでもない愛だ」と思った。
何にもわからん未熟な私達を、すごく応援して、すごく可愛がってくれてたから、イダピンが解散した時、本当にがっかりさせたと思って、罪悪感があったし、恥ずかしかった。
私が歌うことを辞めたら、もう興味を無くされて、関係がフェードアウトすると思った。
でもな、ちがったねん。
10年前に飛行機の隣の席でたまたま出会ってから、イダピンが生まれて、終わって、私が歌うことをやめても、リハビリみたいなウクレレ弾き語りを始めた今でも、パートナーと事業を始めた時も、結婚した時も、ことあるごとにずっと見守って応援し続けてくれててん。
今日、数年ぶりにその人にあった時、最初に聞いた言葉は「がんばってよ!」やった。
私は、応援されている。
いつも、与えてもらってばかりいる。
そして、信じてもらってる。
正直、その人自身が何をどこまで意図してたかは、確認してないからわからんで?
私が勝手にそう解釈しただけかもしれんで?
もし仮にそうやったとしても、なんか大いなる力が働いて、私にLOVEとエールを送ってくれたんやろうと思う、きっと。
その人は私より15歳くらい年上やけど、少年みたいな目で、すごい楽しそうにしてた。こういう大人を目の当たりにすると、勇気がでるねん♫
本当に本当に幸せでした(*^o^*)
LOVE♡